会長の時間2 平成25年7月10日(水)

2013-07-10

「日本文化の底力」

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

今は本当に便利な世の中になりました。先日、参議院の予算委員会で、とても良い質疑があったと聞きましたので、ユーチューブで探しましたら、その全質疑を見ることが出来ました。

それは、中山恭子議員と麻生副総理との「日本文化の底力」についてのやりとりでした。

 

中山議員は元外交官で、中央アジアのウズベキスタン大使を3年間務められましたが、この国は非常に親日的なのだそうです。日本とは無縁に見えるこの国がなぜ親日国家なのでしょうか。

 

この国には、終戦後、シベリアを経由して2万5千人の日本人捕虜が、劇場、運河、鉄道、発電所などの建設に従事させられました。

 

この質疑の中で、麻生副総理は1997年に日本の閣僚として初めてこの国を訪問したときのカリモフ大統領とのエピソードを次のように紹介しました。

 

終戦当時、カリモフ大統領は子供でしたが、毎週末、母親に連れられて日本人の働く現場に連れていかれたそうです。そして、毎週母親が言った台詞は「せがれ、ご覧。あの日本人の兵隊さんを。ロシア兵が見ていなくても働く。お前も大きくなったら、人が見ていなくても働く人間になれ」だった。「母親の言うことを守って、今日俺は大統領になれた」と。

 

この部隊は混成部隊で、当時のあらゆる階層の普通の日本の若者たちですから、全ての若者が身につけていた所作です。

 

帰国の見通しもない中、日本人として恥ずかしくないものをと陰日向なく働いた2万5千人の日本の若者たちが、今日の日本とウズベキスタンの関係の基礎になっていることは間違いありません。

 

当時造ったナヴォイ劇場は、1966年の大地震で首都が壊滅したにも関わらず、無傷で残ったそうです。それにより「日本人は手抜きをしない」という評判が広がったと言われます。

カリモフ大統領は、独立後、その壁面プレートに刻まれていた「日本人捕虜」を「日本国民」に書き直させたそうです。

 

このユーチューブの映像を見て、私は、私だったら、或いは今の日本人だったらどうするだろうかと考えました。

理不尽にもソ連によって強制連行されたのですから、一生懸命働く義理はありません。ロシア兵の監視がなければサボタージュするかもしれません。或いは、当時の人と同じように現地の人の為により良いものを残してやろうと考えるでしょうか。

 

なぜ、当時の若者は陰日向なく働いたのでしょうか。長い歴史の中で培われた日本の文化のお蔭でしょうか。それとも教育のせいでしょうか。

この会場にいらっしゃる当時の若者たちにもご意見を伺いたいものです。

 

今の時代、戦後生まれが大部分を占めて、体験としての当時のことが分からなくなっています。

今期は、当時、体験されたことを会員卓話していただきたいと考えておりますので、よろしくお願いします。

 

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