会長の時間17 平成25年11月13日(水)

2013-11-13

「伊勢神宮参拝」2013.11.13

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

11月4日に伊勢神宮に参拝して来ました。今年は第62回目の式年遷宮の年なので、大勢の参拝者がいましたが、最終的には史上最高の1300万人を超えると見込まれているそうです。

 

伊勢神宮が創設されたのは今から2000年前で、それまでは大和の宮殿で天照大御神をお祭りしてい

ましたが、第10代崇神天皇の頃に疫病が発生し国民の大半が亡くなり、流民や反乱者が出るなど国が大きく混乱したため、天照大御神を宮中の外にお遷ししてお祭りしたところ、ひとまず国がおさまったそうです。

次の第11代垂仁天皇の時代に、皇女倭姫命により良い地を求めようお命じになり、ついに伊勢に辿り着きます。古事記には日本武尊が東国平定の旅に出る前に、伊勢神宮に叔母の倭姫命を訪ね、天叢雲剣と火打ち石を授けられたと書いてあります。

 

式年遷宮が始まったのは今から1300年前、天武天皇のご発案により、持統天皇4年(690)に第1回が行われました。ただ、神宮は木造ですから制度化される前にも遷宮はたびたび行われていたと思われます。

 

第1回以来、20年ごとに遷宮が実施されてきましたが、南北朝や戦国時代には、変則や中断があったそうです。そうした中でも伊勢神宮を大切にしようという精神は消えず、例えば、織田信長は内宮外宮に参拝しています。そして、後を継いだ豊臣秀吉が、戦乱で中断していた式年遷宮を再興し、天正13年(1585)に第41回式年遷宮が行われました。以来、20年ごとに続けられていたのですが、唯一の例外が、昭和24年に予定されていた式年遷宮です。

敗戦直後の厳しい時代だったので昭和天皇のご配慮で延期となりましたが、この天皇の思し召しを多くの人が知り、せめて入口の宇治橋だけでも、ということで掛けかえられ、そして4年後の昭和28年には式年遷宮が実施されました。戦後4回目という事になりますが、今年ほど盛大なことはなかったように思います。何かの節目でしょうか。

 

式年遷宮には13,600本の檜が伐採されるという事ですが、その一方で200年、300年という長期的な植林が進められており、もう少しすると、遷宮用の檜は全て神宮内でまかなえるようになるそうです。また、内宮外宮の古材は宇治橋の鳥居や熱田神宮のお宮に使われるなど全国の神社で無駄なく使われていますから究極のエコといえます。

 

伊勢神宮を、西行は「何事の おわしますかはしらねども かたじけなさに なみだこぼるる」と歌い、芭蕉は「たうとさに みなおしあいぬ ご遷宮」と詠みました。

平安時代に西行が、江戸時代に芭蕉や、弥次さん喜多さんが見た伊勢神宮と、今、我々が目の当たりにする神宮は、すべて同じ材料、同じ形式、同じ雰囲気であるという事はまさに驚くべきことであります。内宮に向かう参道の真ん中に気が数本立っています。外国人は、なぜ伐らないのかと聞くそうですが、例え、木が倒れたとしても、元と同じように植えるのだそうです。1300年前と同じように維持しようとする考え方が徹底されています。

ヨーロッパの人は中世の街並みをそのまま残すのに比べて、日本人は昔の街並みを大事にしないと言われています。しかし、日本人の生活様式は平気で変わっていきますが、日本文化の深奥の部分は変えないというのは興味深いことです。

 

伊勢神宮にお参りすれば、少なくとも1300年前と同じものを見ることができる。しかも、それは石やレンガで作ったものでなく、朽ち果てるべき木で作ったものを、人間が20年ごとに寸分たがわず作り変えることによって、時空を超越したものを感じることが出来る。そして、作り変えるたびに瑞々しい。これはまさに人類の奇跡と言って良いのではないでしょうか。

 

遷宮された後の外宮の正殿を特別に拝観することが出来ましたが、屋根は一部朽ちていました。

20年前に造ったものではありますが、平安時代にでも来たような不思議な感覚でした。

 

人間の肉体も不滅ではありませんが、命は親から子、子から孫へと繋がっていきます。

伊勢神宮は、日本民族の命と精神を繋いでいく日本の宝だと改めて思いました。

 

 

 

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