豆田の歴史こぼれ話と草野本家」草野義輔会友

2016-11-09

豆田の歴史こぼれ話と草野本家」草野義輔会友

 1772年 豆田町のほとんどが焼けてしまったと伝えられる。
 当時の落首として
「豆田町 みな丸焼けに 大井川 迷惑年に 腹は立つ年」
・丸焼け:火元が丸屋(今の薫長)
・大井川:丸屋の酒の銘柄
・迷惑年:明和9年(1772年)
・立つ年:辰年

草野家の伝承
 大火にも2棟焼け残ったとあり、内1つは仏間棟で、今河津建設さんにより解体中。
 蔵1棟焼け残りとあったが、大火災とみられていた一番奥の蔵を解体中に延享5年の墨書が発見される。延享5年は1748年。今年の9月に発見。

明治元年(1868年)、松方正義日田県知事として着任
 松方正義は、日田金を新政府に持っていくことが仕事と見られ、日田ではあまり喜ばれない存在だった。しかし。一新橋を架けるなど多少は役に立つことも行っている。
  ・慶応4年1月:窪田郡代 逃亡
  ・慶応4年3月:京都に鎮撫の公家派遣依頼
  ・慶応4年4月:松方着任
  ・慶応4年7月:新しい架橋のお願い
  ・慶応4年9月:明治となる

豆田の町衆が嘆願した文書
 草野家にあった嘆願文書(慶応4年7月)
 嘆願書名者 豆田町1丁目6人、岡2丁目6人、岡3丁目6人、最後に廣瀬久右衛門、草野忠右衛門

松方が架けた一新橋
 豆田町衆の嘆願により新政府の支援で「一新橋」が架けられ、同年12月3日渡り初めが行われた。この橋が出来る数年間は元治元年の橋は2本とも流失していたようで、この橋は上町と下町の中間に架けられた。従って、川沿いの川端町の集落は移動せざるを得なくなり、これも新政府の支援で行われた。日田市史によれば、この橋は豪華な石橋とある。

一新橋に掛かった費用(草野家文書から)
一新橋仕上げ書き上げ
※当時の1両は、現代の貨幣価値で10万円とみられる。
 合金 5781両永3文5分3厘
 内金 900両(豆田町献納)
 内訳 金 50両 中嶋屋善助 出金
    金230両 廣瀬久右衛門 出金
    金200両 草野忠右衛門 出金
    金420両 日田殿横頼母志講の他借金
      故刀屋国助等も加わり積み立て検分

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