10月, 2013年
ミャンマー学習小屋修復事業を報道発表
先般、日田市の記者クラブにて日田ロータリークラブ50周年記念事業であるミャンマーの学習小屋修復事業を説明いたしました。
早速各紙に取り上げられています。
会長の時間15 平成25年10月23日(水)
2013.10.23「バザー」
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
今日は恒例の日田ロータリークラブのバザーです。
先日来、提供する品物を事務所にお運びいただきまして有り難うございました。
今朝も、白石社会奉仕委員長と諌山会友が、車を出して品物を会場に運び込んでくれました。
10時半からは、会友と奥様方が、会場設営・品物の仕分け・価格付けをしていただきましたので、1時半からのバザーの準備がすべて整いました。日田ロータリークラブのバザーを毎年楽しみにして、既に開場を待つ方もいらっしゃいます。今日も完売して社会奉仕のお役に立てたいと思います。
それから、先日、記者クラブで私と田嶋副会長、織田財団委員長、小ヶ内幹事、中西広報委員長が、日田ロータリークラブの創立50周年記念事業の一つとしての「ミャンマーの学習小屋の改修」の説明をしてきました。早速、西日本新聞と読売新聞が記事にしてくれました。ロータリーの国際奉仕について良い広報活動ができたと考えております。
記者会見の設定には中西広報委員長がお骨折り下さいました。
10月25日から、私がミャンマーに行って建設の段取りと開校式の日程等を決めてきます。帰って来ましたら、またご報告いたします。
チャリティバザー盛況
今年もチャリティバザーにたくさんの人が来場いただきました。
観月例会
観月例会で懇親を深めました。
会長の時間14 平成25年10月16日(水)
「ゴーストタウン」2013.1016
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
先日、テレビ東京で「未来世紀ジパング“潜入中国12大ゴーストタウン”」を見ました。
中国各地にある(中国語で鬼城というのだそうですが)ゴーストタウンのことは知ってはいましたが、テレビ映像で見て改めて驚きました。
内モンゴル自治区のルドス市の100万人分の巨大マンション群に入居者の姿はなく、広東の東莞の巨大ショッピングモールは何年か前の賑わいが嘘のような廃墟でしたが、このようなゴーストタウンが中国全土にいくつもあるそうです。
このような巨大開発は、中央に対して実績を上げたい地方政府が主体となっていますが、土地開発をするために、鉄パイプを持った300人のやくざが乗用車で、言うことをきかない農民を襲う信じがたい様子を、農民が撮ったビデオを放映したのもインパクトがありました。これでは解放前の地主が、地方政府に替わっただけです。
その資金がどこから出ているかといえば、いま注目される“シャドー・バンキング”です。
その中核となるのが、「理財商品」という金融商品で投資信託のようなものですが、ここを通じて庶民から集められた巨額のマネーが、不動産バブルの源泉になったと見られています。
それにしても、シャドー・バンキングの理財商品を、ビラだけで買う中国一般庶民のリスク感覚も理解できません。何に投資しているかも知らないで、よく虎の子の貯金を預ける気になるものだと思います。多分、周りの人が高い金利で儲かったという噂だけで買っているのではないでしょうか。
利に目ざといから、もし返って来なかったら、どれだけの騒ぎになるか分かりません。
日本にとって、金融に関する直接的な影響はあまりないと思われますが、中国の国内需要が低下した時の影響は大きいので、中国のバブルの崩壊すに備えることが重要になってくるだろうと思います。
とても良い番組でした。
会長の時間13 平成25年10月9日(水)
「かち栗」2013.10.9
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
秋が深まって栗が出回っています。先日、農家の人から、かち栗をいただきました。
茹でて天日に干して作ったものだそうですが、固い栗の実を食べながら、日本人は縄文時代以来このかち栗のようなものを食べて来たのだろうかと想像しました。
以前、私は30年ほど前に発見された青森県の三内丸山遺跡を訪ねたことがあります。
三内丸山遺跡は今から約5500年前~4000年前の縄文時代の巨大な集落跡ですが、ここで出土した栗の木をDNA分析した結果、栗が人の手で栽培されていたことが明らかになっています。
他にも豆、ゴボウ、ひょうたんなどの一年草も栽培されていたようですから、コメが日本に渡ってきたときに、あっという間に青森辺りまで栽培されるようになったというのも、こういう縄文人の技術と経験があったからではないでしょうか。
また、かち栗は保存食にも適していると思われるので、昔は貴重な食料として、戦場にも持っていったのだろうかとも想像しました。
そんなとき、偶々、明治の終わりの方で、乃木大将が日清戦争当時の衣食について話したことが新聞に出ていましたのでご紹介します。
「かの日露戦争に従軍した者に、日清戦争当時、衣食はどんなことであったかを話して聞かせると、その粗末であったこと、ほとんど嘘のごとく驚きます。さらに日清戦争の時分と西南戦争の時分の食物や弾薬、衣服の乏しさを比較しますと、これはまたもう一段ひどい。
それから以前の幕長戦争になると、ほとんどお話にならない。『そんな物を食ってよく生きていたな』と言って一笑に付されるような有様であります」だそうです。
具体的に何を食べたいたのか分かりませんが、かち栗などは貴重品だったのかもしれません。
明治末の人でさえ、僅か50年ほど前のことを『そんな物を食ってよく生きていたな』と言って一笑に付す位ですから、我々にはとても想像がつかないことです。
物質的に恵まれた今日、つい最近まで日本人が貧しい食料で必死に命をつないできたことを有難く思いながら、かち栗を食べました。
米山奨学制度研修会報告 井上明夫会友
日田中央RCより来訪 ドラゴンボート大会
日田中央RC主催のドラゴンボート大会が開かれるため、古賀弘人会長と手嶋伸之実行委員会会長がそのPRに来訪されました。
■2013水郷ひたドラゴンボート大会inみくま川
【日時】平成25年11月17日(日)小雨決行13時〜16時
【場所】三隈川特設コース【概要】直線250mのタイムレース。短時間のレースなのでそれだけ盛り上がるでしょう。上位1位〜3位を表彰。受付は三隈大橋付近、駐車場は竹田プール前公園及び河川敷。
■大会出場チーム募集
【参加資格】小学生以上ならどなたでも。1チーム9名〜10名。※漕ぎ手7〜8名、太鼓1名、操舵1名※ボート関係は全て準備します。
【参加料】1チーム5000円(保険料含む)【参加申し込み方法】申込用紙に記入の上、大会事務局まで郵送又はFAXで。先着36チームまで
【お申込み・お問合せ】日田市観光協会 電話0973-22-2036 FAX0973-22-2444【お申込み締め切り】10月31日必着
成田ロータリークラブより来訪者
成田ロータリークラブより菊川様が来訪くださりました。バナー交換をしました。ありがとうございました。
会長の時間12 平成25年10月2日(水)
50周年記念式典の日程変更」2013.10.02
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
ガバナー公式訪問も無事に終わりました。お疲れ様でした。
その懇親会の席上、来年のシドニーで開かれる国際大会に参加する2720地区の旅行スケジュールが分かりました。5月30日から6月5日までだそうです。
まだ、旅行の案内状は来ておりませんが、ガバナー以下、パストガバナーや各クラブの会長など、相当数の参加が見込まれます。
従って、1年以上前から5月31日に決定していた日田ロータリークラブの50周年記念式典はガラガラということになります。
私、青くなりました。その場で、会場のパトリアが別の日に変更できるかどうかを相談、翌朝9時過ぎに、まだ6月に予約が入っていない土曜日がある事が判明いたしましたので、すぐにパトリアに行って押さえました。ほっとしました。
そういう経緯で、来年の50周年記念式典は、5月31日(土)から6月14日(土)に変更になりました。
29日の日曜日に、宇佐で開かれた米山奨学金セミナーで赤山ガバナーとお会いしましたので、6月14日のスケジュールを確保していただきました。翌6月15日が日出ロータリークラブの周年行事だそうです。
いよいよ、50周年実行委員会も動き出しましたので、改めまして皆様のご協力をお願いして、50周年を盛大に迎えたいと思います。よろしくお願いします。
本日はミャンマーでの学習小屋改修事業でご協力いただいている古庄重生さんの卓話も控えておりますので、会長卓話はこれで終わります。
ミャンマー学習小屋建設について 古庄重生氏
ミャンマー学習小屋建設 古庄重生さん
初めまして古庄ともうします。私は別府からきました団塊世代の65歳です。以前は食品商社の祭原というところに約30年勤め、平成12年から14年にかけて現三菱食品との合併の時に退職させていただきました。若いときからの夢であった「なにか人様のお役に立ちたい」と思ってタイに渡り、一時的にはエイズの撲滅のボランティアをしておりました。けれどもたまたま別府のAPUという大学がありますが、その卒業生の面倒を見ていたらミャンマーに来てみませんか、ということで私みたいな人間でも何か役に立てそうだなということでミャンマーに渡り11年が経過しようとしているところです。橋本会長と知り合ったのは7月までガバナーをしておられた岡村さんの紹介です。
ミャンマーについては世界で一番安全な国だと思います。軍が庶民を押さえつけているためです。ミャンマーの方々は一般人には悪いことをしません。人口は6500万人。首都は皆様ヤンゴンとお思いかもしれませんがネピードというところにあります。「王様の住む町」という意味ですがそこに2006年から変わっております。軍のナンバーワンが自分の事を王様だと思って首都を移したのかも知れません。面積は日本の約1.8倍でインド、バングラディシュ、中国、ラオス、タイの5カ国に囲まれた国です。民族は大小合わせて135の多民族国家です。主な民族はビルマ族70%シャン族10%です。公用語はビルマ語ですが少数民族にはそれぞれの言語があります。イギリスの統治が100年あり英語を出来る人が多いです。この40年間の社会主義と軍政によって、逆に民主化されると内戦が起きるんじゃないかと私は不安視しています。このまま中国は黙っておるかなというのも心配の種です。通貨はチャットという単位です。橋本会長や織田さんはこの前こられたのでわかると思いますが、1000KSが日本円で100円で物価は日本の約10分の1です。しかし家賃、車などはめっぽう高いです。95%は日本の車ですが軍政下では2500ccのランドクルーザーでも一時は3000万しました。今はかなり下がりまして民政に移りつつありますので、車の値段は半分になっております。しかしホテル代は2年前から比べたら約3倍になっております。需要と供給のバランスが完全に崩れております。食については朝はモヒンガー<魚スープ>と言いまして麺を食べます。ミッチーナやシャンや地方の麺類も多く美味しい麺があります。基本的には米の麺です。ラーメンに近いものでありましてたくさんの種類の麺があります。カレー風のやつが多いです。おかずとして食べるんですね。マトンカレーのような感じでカレーと汁と肉を浸けたものが主体です。サラダなんかもいろんな種類のサラダがあります。
2011年より軍政から民政への転換が始まりまして現在は世界の注目の的で世界中から色々な人が来ています。とりわけ日本が一番経済援助をしていると思います。3000億円の円借款を帳消しにしていたりします。日本は何も考えずにお金を出すばっかりで馬鹿じゃないかと口悪くいう人もいます。中国の動きを気にしながら援助した方がいいという意味だと思います。元首都のヤンゴンはものすごい勢いで変わってます。土地も以前の4、5倍しています。みなさん乗せられて色々なものを買ったり売ったりしているみたいですけど、日本のバブルと一緒で崩壊の時がくるんじゃないかと思います。外国から来られた方に私は「今は何もしない方がいいんじゃないですか」と言います。一度崩壊したあとにビジネスなどはやられた方がいいんじゃないかと思います。大手の商社さんも工業団地に進出したりしてその辺の判断は難しいですが、現地にいる私としては後の方がいいんじゃないかと思います。色々なものが値上がりしていて、政府がそれを止めようとしていることも事実ですが、止まらないし、一部の金持ちだけが儲けているのが事実だと思います。
さて学校建設への歩みを話しますけれども(出来たときには)大勢で現地に来ていただきたいと思います。まず学校建設への歩みですが、最初は味の素の社長の紹介でタイに渡ったんです。エイズの関係の仕事に携わったんですが、自分の思うようなことができなくてミャンマーに渡ったのが事実です。その国に住むのであればその国に役に立つことをした方がいい、と言われまして考えていたところ、僧院がミャンマーにはたくさんあるんです。僧院が学校を運営しています。それでミャンマーの僧院に勉強道具を届ける支援をしていました。2008年にサイクロン(台風)がエーヤワデー管区からヤンゴン管区に襲来し、政府の発表では死者6万人行方不明者7万人という状況でしたが、実際に僕たちが後から村々を聞き取り調査しましたら30万人死者が出たという話も有り、ともかくすごい被害が出ました。(被害が出た原因の一つとしては)そういう台風情報が一般庶民には流れていませんでした。私はたまたま政府関連の人から「明日は絶対に外に出たらダメだ」ということを言われていました。2008年5月2~3日にかけて、マンションから民家の屋根がバンバン飛ぶのも見えました。それで(嵐が収まって)すぐ米とラーメンとを大量に買って、エーヤワデー管区に行こうとしたんですが、軍の方から規制が入って外国人は被災地にいけませんでした。フランス海軍も海上で支援物資を持ってきたそうですが入れませんでした。仕方なくミャンマー人にお米とラーメンを託しまして、看護師をやってる日本の女房と娘が「感染病がはやるから早く帰ってきなさい」ということで後ろ髪を引かれる思いで日本に帰国しました。
状況が気になっていましたがたまたま3ヶ月後に現地のユニセフのスタッフから現地を見て下さいと言う要請が入り、現地に入ることが出来ました。初めて入った村がエーヤワデー管区のテンゴン村です。サイクロンで学校は吹っ飛び跡形が少々残っていました。「古庄さん、テンゴン村に学校を作ってください。」と言われ何かしなくてはいけないと思い、学校建設に取り掛かりました。2008年です。75万円で学校ができていました。初めテンゴン村、次にニャンイワン村、3校目はダコン村というところに建設いたしました。生徒は150人程度の小さな村です。
学校を建設するに当たっては労働力を提供してください、ということで村の人たちにはお願いしております。ティーダンゴン村については先生の給料については村の人が払うという事です。先生の給料は一人3000円の2人で6000円です。これまでの2つの村については年間36000円でパゴダ会が負担しています。
学校に行こうにもバス代などのお金が足りない、学用品のお金ないということで、一人1000円あったら学校に行けるというような本当に貧しい国です。ヤンゴンだけは変わりつつありますが、ヤンゴンから一歩はいると日本の終戦後と変わらない本当に貧しい国です。日田ロータリーが4校目、加古川ロータリークラブが5校目になります。大分中央ロータリーの会員ですが柴田産業というガスの会社が創立50周年ということで6校目、大分の県会議員をされてる竹内さんという方のアスパルというグループが7校目、道路企画という会社が8校目を建てていただけるということになりました。本当に感謝しております。村の子供達に変わって御礼いたします。
日田のロータリーさんが建てて頂けるティーダンゴン村はヤンゴンから車で2時間、雨季はボートで1時間半、乾季はバイクで1時間ほどかかるエーヤワデー管区の小さな村です。村の人口は500名で小学生は70名です。現在校舎はありますが、竹とヤシの葉っぱで作った貧相な校舎であります。先生と労働力の提供は村の人たちがやっていただけるという話が住んでおります。もと校長先生をやっていた人もおりまして、教育には非常に熱心なところであります。
最後になりましたが継続することが大事だと思っております。私が70歳になるまでに10校というのが夢でありましたが、65までに8校ですので頑張りたいと思います。私が何でこんなことをしているのか、僕は商社マンでありましたが、数字に追い回されまして、52歳まで会社におりましたが、ミャンマーに来ることで心の健康を取り戻すことができました。私はミャンマーに恩返しをしなきゃいけないなということを思っております。皆さんも現地に来て彼らのエネルギーを吸収して帰りましょう。ミャンマーの小さな村でありますけど、子ども達から元気なエネルギーをいただけます。