3月, 2015年
会長の時間34 平成27年3月27日(水)
日田ロータリークラブ会長 田嶋 篤
今日は沢山の方に参加して頂きありがとうございます。 今日の企画は日田ロータリークラブの青少年奉仕の担当の松本さんたちのお蔭です。みんなで里山散策ということでオリエンテーリングをして頂きますが、昔からある、里山の必要性、木の役割、水の大切さ等をしっかり学んでください。私たち日田ロータリーは青少年の育成にも力を注いでいます。海外ではミャンマーの子どもたちとの交流も行っています。田舎の学校なので電気も水もガスもありません。でも一生懸命勉強したがっています。校舎を立て替えたり、夜でも勉強ができるようにソーラーランタンを持っていったり、鉛筆、ノート等の勉強道具を持っていったりしました。今年度は井戸を掘って水の確保をしようと思っています。こんなに環境の悪い中でもミャンマーの子どもたちは元気いっぱい勉強しています。いま私たちの周りの環境がいかに恵まれているか、また恵まれている環境の大事さを見つめ直してみて下さい。この里山散策が良い機会になれば幸いです。
小学生を里山散策に
青少年世代奉仕委員会(松本委員長)5名が担当し天瀬町の織田会友の里山で小学生を対象にした里山散策を開きました。参加会友は23名、小学生は約40名が参加しました。里山散策の後、B&G海洋センターにて昼食、財津忠幸講師による木についての講話がされました。織田会友による里山散策絵本での木についてのお話、参加賞を渡しました。子どもたちには感想画を描いてもらいました。
会長の時間33 平成27年3月18日(水)
日田ロータリークラブ会長 田嶋 篤
日頃から、自分を戒めるために自分の机のそばにいつも掲げております。他人はともかく少なくとも俺はこうあってはいけないと思って眺めています。
「こんな人間にはなりたくない」
- わからないのに…尋ねない人
- わかっているのに…しない人
- 教えないのに…やらせる人
- 頼んでも…しない人
- 聞いても聞いても…忘れる人
- 注意しても…聞かぬ人
- 返事はしても…動かぬ人
- 約束しても…来ない人、守らない人
- 待たしても…平気な人
- 困っていても…頼まない人
- 感謝はしても…礼を言わない人
- 失敗しても…隠す人
- 失敗しても…謝らない人
- 理屈ばかりで…動かぬ人
- しないうちから…逃げる人
- 弱音ばかりを…吐く人
- 嫌と思ったら…絶対しない人
- 自己弁護の…上手い人
- 他人を褒めることを…しない人
- 人の批判をしても…意見の無い人
- できない理由を…探す人
- 報告一つ…できない人
- 連絡一つ…できない人
- 相談一つ…できない人
- 挨拶一つ…できない人たまには、こんな人間に気づかないうちに陥ってないかチェックしてみるのも良いのではないでしょうか。
日田ロータリークラブ創立記念日卓話 佐藤武朗会友
日田ロータリーの誕生 佐藤武朗会友
大分県内初期の概況
*大阪RCから、大分RC(昭和25年12月)、大分RCと大阪RCから別府RC(昭和27年7月)、別府RCから中津RC(昭和29年1月)、大分RCと別府RCから竹田RC(昭和32年5月)、佐伯RC(昭和35年2月)、臼杵RC(昭和35年6月)、津久見RC(昭和35年6月)、大分RCから大分東RC(昭和38年6月)(参考 福岡RCから熊本RC 昭和14年12月)(昭和36年5月 第52回RI年次大会東京)
*日田は他の奉仕クラブに先を越され、RCの設立に対して地元の代議士から、保守を二分しないで欲しいとの要望があり時の松本兼二郎ガバナー(八幡RC、黒崎窯業社長、1961-62年度)も慎重論であったが、昭和39年3月中津RCの向笠広次特別代表は果敢に取組み、若い層を集めて日田RCの創立にこぎつけた。(地区誌1980年刊、八田秋パストガバナー)
日田ロータリーの誕生
*日田ロータリークラブは、1964年(昭和39年)、東京オリンピックの年に、中津ロータリークラブが創立10周年記念事業としてスポンサーとなり、向笠広次会員(医学博士、1967-68年度ガバナー、1982-83年度RI会長)を特別代表として、当時の九州山口第370地区で73番目、日本承認順位612番目の、チャーターメンバー26人、平均年齢44.5歳の若いロータリークラブとして誕生。
創立総会
*創立総会は、1964年3月14日(山陽館)。 *向笠特別代表は、創立総会で、「日田ロータリークラブの誕生が、どんなに周囲から待ち望まれていたか、既に皆さんは何回もお聞きになってご承知のことと思います。そしてその誕生の産婆役を務めた我々は、多くのロータリアンから“よくやった”と肩を叩かれました。クラブの誕生がこんなに祝福され歓迎されるのは何故でしょう。ロータリアンたる幸福を一人でも多くに頒かち合いたいからです。心から新クラブのすこやかな成長を祈ります。」と挨拶された。 *石田友逸会長は、「私達は今や、高いロータリー精神に燃えています。そして友情の歯車はしっかりと噛み合って力強く廻り始めました。先輩クラブのご指導を得て“それでこそロータリー”と誇らかに唄えるロータリアンを目指して努力を重ねて行く決心です」と誓われた。これが日田ロータリークラブの幕開けです。(膳所美光初代-3代幹事、1970-71年度会長)
RI加盟認証、チャーターナイト
*RI加盟認証は、創立総会2か月ほど後の1964年5月18日、ガバナーは嘉村平八会員(戸畑RC、九工大名誉教授)。 *国際ロータリー加盟認証状伝達式は、翌年の1965年5月30日、町田秀美ガバナー(鹿児島RC、垂水汽船社長)のもとに、日田市民会館で盛大厳粛に行われた。参加ロータリアン550人をむかえ、夜は花火の打ちあがる三隈川に遊船30艘を浮かべた披露宴が賑やかに行われた。
会長の時間32 平成27年3月11日(水)
日田ロータリークラブ会長 田嶋 篤
新会員の皆さんは、規定審議会という言葉をお聞きになったことはありますか。この規定審議会は、3年に1回、4月5月6月、できれば4月に開催されますからあまり聞いたことはないかもしれません。
規定審議会は文字通り規程を審議する国際ロータリーの会合です。各クラブにはクラブ名の入った「〜ロータリー・クラブ定款」並に「〜ロータリー・クラブ細則」が有りますが、この規定審議会で決まったことが、それらのもとになっています。「2013年手続要覧」によれば「規定審議会はRIの立法機関で、RIの組織規定を改正する権限を有する」と有ります。
この規程審議会に提出する立法案は、各クラブからも提出することができます。規定審議会の2年前の年度に、クラブは規程審議会で地区内のクラブを代表等するロータリアンを選びます。このロータリアンを代表議員と言います。代表議員については、地区大会で選挙されるか、郵便投票によって決定されます。補欠議員も一緒に選ばれます。立法案は大きく2つに分けられます。
「制定案」はRI定款、細則、標準ロータリー・クラブ定款を改定するものです。「決議案」は組織改定を改定しない審議会決定のことを言います。規定審議会後、決定が他の規則と矛盾がないか、文言が適切かなど一定の確認を経て、全クラブにその決定が通知されます。各クラブには、規定審議会の決定について異議を申し立てる権利が有ります。反対の意思表示をするための書式が送られてきますので、問題が有る場合は手続きに従ってRIに意思表示をしてください。きちんと手続きを取れば、「RIが一度決めたことは決して変わることはない」と思われていた反対意見が通ることも有ります。
ロータリークラブ細則は、変更点に矛盾が生じないようにしなければなりません。国際ロータリー定款・細則、標準ロータリー・クラブ定款は規定審議会が行われるごとに変わることがあります。注意しておきたいものです。
笹倉順会友卓話
篆刻家の笹倉順会友に文字についての卓話をいただきました。
会長の時間31 平成27年3月4日(水)
ロータリーの女性会員
日田ロータリークラブ会長 田嶋 篤
4、5年後には第2720地区に於いても、女性ガバナーが誕生しそうです。女性がロータリーの会員になれるようになったのは、1989年7月に開かれた規定審議会で「ロータリークラブの会員は男性だけに限られる」という定款を削除する案を可決してからです。
1905年2月23日、ポール・ハリスら4人の男性で立ち上げてのち、男性だけの組織として成長を遂げてきました。1987年まで規定審議会に何度か女性会員を入会させる案を提案しましたが、すべて否決されました。それでも1977年アメリカ・カリフォルニア州のデュアルテロータリークラブは女性の入会を認めましたが1978年3月、RIへの加盟が終結されることになりました。同クラブは訴訟を起こし、州最高裁判所、控訴裁判所、連邦最高裁判所と裁判の結果、1987年連邦最高裁判所は、「ロータリークラブが、性別を理由に女性を会員として拒否することはできない」と言う判決を下しました。1989年7月から、世界中のロータリークラブで女性の入会が認められることになりました。ちなみに終結されたデュアルテRCは1986年9月にRIに復帰、最初の女性会員は、同クラブのシルビア・ウッド氏でした。当時「ロータリーの友」でも、女性会員に関するアメリカでの裁判の記事、女性会員入会の賛否などの記事が紙面をにぎわしていたそうです。 現在、女性会員はクラブだけでなく、地区の委員長、ガバナー、さらには、RI理事やロータリー財団管理委員を務めるなど、地区やRIでも活躍しています。当クラブも数年後には女性会長が出現するかもしれません。
職業、年齢など多様性を重んじるロータリーですが、女性会員の入会によって更なる多様性を加え、より多くのアイデア、より多くのニーズを吸収できる組織へと発展していくと良いですね。
鳥栖ロータリークラブ創立40周年に出席 橋本信一郎会友
<鳥栖ロータリークラブ創立40周年に出席して> R情報委員長 橋本信一郎
先週の水曜日、2月25日に鳥栖ロータリークラブ創立40周年に出席してきました。日田ロータリークラブの50周年に来ていただいた大島英二元第2700地区ガバナーがご招待下さいました。
当日の式典と祝賀会はホテルビアントスの同一宴会場で行われ、比較的簡素ですっきりしたものでしたが、内容は非常に格調の高い素晴らしいものでした。と申しますのは、当日知ったのですが、鳥栖ロータリークラブの40周年行事に、ゲイリー黄RI会長がわざわざ35時間もかけてヨーロッパから駆けつけておられました。これは大島元ガバナーとゲイリー黄さんとの古くからの友情の所以だと思いますが、あの激務の中にと非常に感動しました。すぐに南米に向かうのだそうです。
このとき、橋本鳥栖市長が来賓で来ていましたが、ゲイリー黄RI会長が世界で最も新しいロータリアンになりましたと言って、市長にロータリーバッジを自らつけました。なお、鳥栖には世界最先端の医療技術を提供できる「九州国際重粒子がん治療センター」がありますが、台湾からも既に200人くらいが治療に訪れていると来賓の台湾の福岡総領事の戎さんも挨拶されていました。
また、ゲイリー黄RI会長が祝辞の中で、ミャンマーで最初のロータリークラブの設立に立ち会ったと話されていましたので、後でご挨拶に行ったとき、昨年ミャンマーで小学校建て替えの申請をロータリー財団に話したら、決済がアメリカまで上がりましたと申し上げましたら、「もう、そんなことはないと思いますよ」とおっしゃいました。 現役のゲイリー黄RI会長と話が出来て、あの柔らかい手と握手できたことは誠に光栄なことでした。また、記念講演で日本人と結婚したチベット人女性のバイマーヤンジンのトーク&コンサート「輝いて生きる」がありましたが、これも素晴らしいお話で感動しました。いつか日田でも多くの人に、特に中高生にも聴かせたいと思います。