ミャンマー学習小屋建設について 古庄重生氏

2013-10-02

ミャンマー学習小屋建設 古庄重生さん

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初めまして古庄ともうします。私は別府からきました団塊世代の65歳です。以前は食品商社の祭原というところに約30年勤め、平成12年から14年にかけて現三菱食品との合併の時に退職させていただきました。若いときからの夢であった「なにか人様のお役に立ちたい」と思ってタイに渡り、一時的にはエイズの撲滅のボランティアをしておりました。けれどもたまたま別府のAPUという大学がありますが、その卒業生の面倒を見ていたらミャンマーに来てみませんか、ということで私みたいな人間でも何か役に立てそうだなということでミャンマーに渡り11年が経過しようとしているところです。橋本会長と知り合ったのは7月までガバナーをしておられた岡村さんの紹介です。

ミャンマーについては世界で一番安全な国だと思います。軍が庶民を押さえつけているためです。ミャンマーの方々は一般人には悪いことをしません。人口は6500万人。首都は皆様ヤンゴンとお思いかもしれませんがネピードというところにあります。「王様の住む町」という意味ですがそこに2006年から変わっております。軍のナンバーワンが自分の事を王様だと思って首都を移したのかも知れません。面積は日本の約1.8倍でインド、バングラディシュ、中国、ラオス、タイの5カ国に囲まれた国です。民族は大小合わせて135の多民族国家です。主な民族はビルマ族70%シャン族10%です。公用語はビルマ語ですが少数民族にはそれぞれの言語があります。イギリスの統治が100年あり英語を出来る人が多いです。この40年間の社会主義と軍政によって、逆に民主化されると内戦が起きるんじゃないかと私は不安視しています。このまま中国は黙っておるかなというのも心配の種です。通貨はチャットという単位です。橋本会長や織田さんはこの前こられたのでわかると思いますが、1000KSが日本円で100円で物価は日本の約10分の1です。しかし家賃、車などはめっぽう高いです。95%は日本の車ですが軍政下では2500ccのランドクルーザーでも一時は3000万しました。今はかなり下がりまして民政に移りつつありますので、車の値段は半分になっております。しかしホテル代は2年前から比べたら約3倍になっております。需要と供給のバランスが完全に崩れております。食については朝はモヒンガー<魚スープ>と言いまして麺を食べます。ミッチーナやシャンや地方の麺類も多く美味しい麺があります。基本的には米の麺です。ラーメンに近いものでありましてたくさんの種類の麺があります。カレー風のやつが多いです。おかずとして食べるんですね。マトンカレーのような感じでカレーと汁と肉を浸けたものが主体です。サラダなんかもいろんな種類のサラダがあります。

2011年より軍政から民政への転換が始まりまして現在は世界の注目の的で世界中から色々な人が来ています。とりわけ日本が一番経済援助をしていると思います。3000億円の円借款を帳消しにしていたりします。日本は何も考えずにお金を出すばっかりで馬鹿じゃないかと口悪くいう人もいます。中国の動きを気にしながら援助した方がいいという意味だと思います。元首都のヤンゴンはものすごい勢いで変わってます。土地も以前の4、5倍しています。みなさん乗せられて色々なものを買ったり売ったりしているみたいですけど、日本のバブルと一緒で崩壊の時がくるんじゃないかと思います。外国から来られた方に私は「今は何もしない方がいいんじゃないですか」と言います。一度崩壊したあとにビジネスなどはやられた方がいいんじゃないかと思います。大手の商社さんも工業団地に進出したりしてその辺の判断は難しいですが、現地にいる私としては後の方がいいんじゃないかと思います。色々なものが値上がりしていて、政府がそれを止めようとしていることも事実ですが、止まらないし、一部の金持ちだけが儲けているのが事実だと思います。

さて学校建設への歩みを話しますけれども(出来たときには)大勢で現地に来ていただきたいと思います。まず学校建設への歩みですが、最初は味の素の社長の紹介でタイに渡ったんです。エイズの関係の仕事に携わったんですが、自分の思うようなことができなくてミャンマーに渡ったのが事実です。その国に住むのであればその国に役に立つことをした方がいい、と言われまして考えていたところ、僧院がミャンマーにはたくさんあるんです。僧院が学校を運営しています。それでミャンマーの僧院に勉強道具を届ける支援をしていました。2008年にサイクロン(台風)がエーヤワデー管区からヤンゴン管区に襲来し、政府の発表では死者6万人行方不明者7万人という状況でしたが、実際に僕たちが後から村々を聞き取り調査しましたら30万人死者が出たという話も有り、ともかくすごい被害が出ました。(被害が出た原因の一つとしては)そういう台風情報が一般庶民には流れていませんでした。私はたまたま政府関連の人から「明日は絶対に外に出たらダメだ」ということを言われていました。2008年5月2~3日にかけて、マンションから民家の屋根がバンバン飛ぶのも見えました。それで(嵐が収まって)すぐ米とラーメンとを大量に買って、エーヤワデー管区に行こうとしたんですが、軍の方から規制が入って外国人は被災地にいけませんでした。フランス海軍も海上で支援物資を持ってきたそうですが入れませんでした。仕方なくミャンマー人にお米とラーメンを託しまして、看護師をやってる日本の女房と娘が「感染病がはやるから早く帰ってきなさい」ということで後ろ髪を引かれる思いで日本に帰国しました。

状況が気になっていましたがたまたま3ヶ月後に現地のユニセフのスタッフから現地を見て下さいと言う要請が入り、現地に入ることが出来ました。初めて入った村がエーヤワデー管区のテンゴン村です。サイクロンで学校は吹っ飛び跡形が少々残っていました。「古庄さん、テンゴン村に学校を作ってください。」と言われ何かしなくてはいけないと思い、学校建設に取り掛かりました。2008年です。75万円で学校ができていました。初めテンゴン村、次にニャンイワン村、3校目はダコン村というところに建設いたしました。生徒は150人程度の小さな村です。

学校を建設するに当たっては労働力を提供してください、ということで村の人たちにはお願いしております。ティーダンゴン村については先生の給料については村の人が払うという事です。先生の給料は一人3000円の2人で6000円です。これまでの2つの村については年間36000円でパゴダ会が負担しています。

学校に行こうにもバス代などのお金が足りない、学用品のお金ないということで、一人1000円あったら学校に行けるというような本当に貧しい国です。ヤンゴンだけは変わりつつありますが、ヤンゴンから一歩はいると日本の終戦後と変わらない本当に貧しい国です。日田ロータリーが4校目、加古川ロータリークラブが5校目になります。大分中央ロータリーの会員ですが柴田産業というガスの会社が創立50周年ということで6校目、大分の県会議員をされてる竹内さんという方のアスパルというグループが7校目、道路企画という会社が8校目を建てていただけるということになりました。本当に感謝しております。村の子供達に変わって御礼いたします。

日田のロータリーさんが建てて頂けるティーダンゴン村はヤンゴンから車で2時間、雨季はボートで1時間半、乾季はバイクで1時間ほどかかるエーヤワデー管区の小さな村です。村の人口は500名で小学生は70名です。現在校舎はありますが、竹とヤシの葉っぱで作った貧相な校舎であります。先生と労働力の提供は村の人たちがやっていただけるという話が住んでおります。もと校長先生をやっていた人もおりまして、教育には非常に熱心なところであります。

最後になりましたが継続することが大事だと思っております。私が70歳になるまでに10校というのが夢でありましたが、65までに8校ですので頑張りたいと思います。私が何でこんなことをしているのか、僕は商社マンでありましたが、数字に追い回されまして、52歳まで会社におりましたが、ミャンマーに来ることで心の健康を取り戻すことができました。私はミャンマーに恩返しをしなきゃいけないなということを思っております。皆さんも現地に来て彼らのエネルギーを吸収して帰りましょう。ミャンマーの小さな村でありますけど、子ども達から元気なエネルギーをいただけます。

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