外部卓話 西岸寺住職 五和保育園園長 櫻木 証氏

2017-03-01

西岸寺住職 五和保育園園長
      櫻木 証氏

平野会友よりご紹介
 昭和42年生まれの49歳。昭和61年に福岡県八女高等学校を卒業される。平成2年に浄土真宗大谷大学真宗学科を卒業され、平成3年から11年まで東本願寺に勤め、平成5年に西岸寺さんの養子になられ今日に至る。
 

櫻木 証氏より
 「宗教」という言葉が一般的に使われるようになったのは、明治以降になります。江戸時代はそもそも宗教という言葉は出てきませんでした。明治政府になり欧州との関わりが多くなってきたので、キリスト教など色々な考え方もいいですよということになり、それを纏める言葉がいるということで、「宗教」に纏められた経緯があります。当時の国語学者が色々知恵を出しましたが、合う言葉がなかったので英語の「レデイジョン」という言葉が「宗教」と訳されることになります。(再び結合する)という意味で、英語ですのでキリスト教圏の話になり、神との再結合ということになって来ますが、そうなると仏教は神を持たないので、宗教ではないとの議論が起こりました。しかし、宗教の中に仏教が入ったのは、実は「レデイジョン」の語源が、「自ら再び注意を持って見つめなおす」ことから、仏教も宗教に入ることになります。
 仏教を学ぶ場所は、東本願寺の場合は大谷大学。西本願寺は龍谷大学が代表的な大学になります。東京大学で仏教を学ぼうとすると、文学部インド哲学科になります。仏教をインド哲学として捉えているのが東京大学の立場になります。哲学というとインドの哲学になりますので、哲学とは乱暴な言い方をすれば、「深い考え方」となります。例えばイチロー選手の野球哲学は、イチロー選手の野球に対して深く考えたものになります。インド哲学になりますと、1600年前に生まれたお釈迦様がいます。ネパールのルンビニーというところで生まれます。そこで話をされるのが35歳から80歳までの45年間。この間、何語で話されたかは記録に残っていません。サンスクリット語であれば、今日までその話の内容が伝わってきています。このお釈迦様の話の内容が、南に伝わるのを「南伝仏教」といいます。オレンジの衣をまとった僧侶がいて、タイ・スリランカ・ミャンマー・ベトナムがその地域です。日本は「北伝仏教」になります。北は、アフガニスタン・パキスタン地域でアフガニスタン中央部のバーミヤンという場所で初めて仏像が出来ます。仏像は、西のギリシア彫刻の文化と下から上がってきた仏教の文化が融合して仏像が出来ました。その教えと仏像がシルクロードを通って長安へ伝わります。長安の皇帝は経典を読みたいということで、漢字に訳させ、今我々が見ているお経はその時に訳されたものです。
 京都東本願寺は8,700寺、西本願寺は11,000寺あると言われています。東西本願寺は明治以降色々な活動をして来ますが、明治政府になった時欧州の影響を受けましたので、政府から議会制度を視察に行くよう言われます。明治15年ごろ東西本願寺は、留学生を出して学んできます。一番最初に議会を開いたのが、西本願寺で明治17年ごろ2つの議会を開いています。それを参考にして大日本帝国議会が明治23年に開かれ、遅れること明治30年に東本願寺が議会を開いています。当時の東西本願寺は明治政府と強い結びつきを持っていた事が分かります。
 数年前、心を痛む事件で少年が祖父を刺殺した事件がありました。逃亡に逃亡を重ね、結局兵庫県で補導されましたが、所持品はわずか200円と遊戯王カードだったそうです。少年の心は計れませんが、私たちは「何を持つか」を考えた時、何が一番良いのかを思わざるをえません。それぞれ持ち物があると思いますが、残念ながら私達が身につけたものは、いつか手放さなければならないものばかりです。お釈迦様が仰るには、「考え方と言葉を大事にしなさい」と説かれています。仏教の「大丈夫」という言葉を大事にして、仮に失敗しても大丈夫と励まして行く事が大事なのでは思います。

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