私がロータリークラブに入るまで!  頓宮正敏会友

2012-05-09

私がロータリークラブに入るまで!  頓宮 正敏会友

 

私は、平成6年に16年間勤めた、体育施設・遊具施設のメーカーでK社という所を退職し、独立しました。いわゆる脱サラです。

独立して、K社の仕事も下請で行っていました。平成12年の12月にK社が倒産し、私もK社に売掛はあったのですが、私はそんなことより、人生の転機が来たと確信しました。

人の不幸を喜んでいるわけじゃありませんが、ビックチャンスだと思いました。4ヶ月後の平成13年3月に社名を「有限会社 九州体育施設」と変更致しました。社員は、私を含む4名で毎日朝7時から夜は早くて10時頃まで休みもなく、ほとんど毎日仕事をしました。

翌年、平成14年度の決算で約1億円の売上でした。その1億円に対して、皆様が多いか少ないかどう思われるかわかりませんが、私は4人での売上額というより内容(利益率)でした。特殊な製品の販売、又特殊工事がほとんどだったので利益率は50%を超えるものでした。

ただ、問題がゼネコンの下請工事が多く、手形がほとんどで最初の1~2年は大変苦労しました。その年に今の会社、小関段ボール跡を買い、翌年平成15年に「株式会社 九州体育施設」と社名を変更致しました。そして今、社員20名の世間でいう典型的な中小企業です。会社の話はその位にしまして…

平成21年に日田祇園祭り、平成山鉾振興会の会長を受けることになりました。というより、誰も引き受ける人がいなかったというのが現実です。

各町、豆田4基、隈、竹田4基、平成山、祇園囃子保存会の各会長10名からなる、日田祇園山鉾振興会会長会という組織の中で、会議も然ることながら、食事会も多く、会長会、寿司店などで石井先生とよく会うようになりまして、2年ほどたってのことです。ある時、『頓宮君、小西君も入会するので君も一緒に入らないか?』と言われ、入会いたしました。

ところが、どういう訳か小西君の方が1ヶ月先に入会していました。人間は誰でも一人くらいは『この人には何も負けたくない』という人間がいると思います。私も例外なく、私よりも4つ年下の男がいます。そう、小西総一です。こいつだけには何も負けたくありませんでしたが、今日ロータリーでは先輩になってしまいました。

私のような者がロータリーに入っていいものかといつも思っています。

例会、又、催し事には必ず参加し、何事にも協力致しますので、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

又、今日も欠席の小西先輩宜しくお願い致します。

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