7月, 2019年
会長の時間4
日田ロータリークラブ会長 白石章二
先日、F1GPでホンダエンジンが13年振りに優勝しました。
モータースポーツファンの私としては、久しぶりにとても嬉しい出来事でした。
私が、日本の経営者の中で一番尊敬しているのが、本田宗一郎です。
戦後小さなオートバイメーカーとしてスタートし、いち早くF1GPに参戦し、優勝まで成し遂げたストーリーは皆さんもご存知だと思います。
その頃、F1を走る実験室と呼び、そのエンジンの中身はまるでスイスの時計のようだと、驚かれていたようです。
今、世界で三大自動車レースと呼ばれているのはF1のモナコグランプリ、アメリカのインディカー選手権のインディ500、そして耐久レースのル・マン24時間レースですがいずれも、日本の自動車メーカーが頑張っています。
F1はホンダ、インディカーもホンダ、ル・マンはトヨタ、そして、ラリーではトヨタ、オートバイの世界選手権の世界でも昔から日本のメーカーが主役です。
これほど日本の自動車メーカーは頑張っているのですが、日本ではイマイチ人気が無いのが残念です。
日田市にはオートポリスと云う素晴らしいサーキットがあるので、なんとかもっとモータースポーツの人気が盛り上がらないものかと思う今日この頃です。
会長の時間3
日田ロータリークラブ会長 白石章二
近年のスマートフォンの普及により、インターネットでの情報の収集が当たり前のようになり、その影響で既存のメディア(新聞やテレビ等)とネットでの情報の違いが最近多く見られるようになってきたように感じます。 最近、日本から韓国への輸出品に関して、韓国をホワイト国指定からはずすとの報道がありましたが、これに関して既存のメディアの報道は、いわゆる徴用工問題に対しての日本の報復のように報じていて、日本にとってメリットが無いだとか、日本にも少なからず影響が出てくるように云う評論家も結構いるようです。
しかし、ネットで調べてみると、これはウラン濃縮や毒ガスの製造などに転用が可能な輸出品に関して、どのように使用したかの報告を日本政府が要請しているのにもかかわらず、長い間韓国側からその報告が無いことに関しての措置であるようです。 これは、安全保障上の問題です。 このことから、今まで輸出品に対して審査の無いホワイト国指定であった韓国を、普通の審査が必要な国に戻すだけの事のようで、禁輸をするような事では無いようですが、なぜこのような違いになるのか、なにかしら意図的なものを感じてしまいます。
また、つい最近熊本地裁での「ハンセン病家族訴訟」について、某新聞社が「国は控訴する方針」という正反対の誤報を掲載するというような事も起こっています。
これでは、国民の信頼は益々既存のメディアからネットへと移行してしまうのは当然の事と思えてなりません。 情報は、受身でもらうのでは無く、自分から積極的に取りにいく時代になっているようです。
会長の時間2
日田ロータリークラブ会長 白石章二
1905年世界恐慌の中、青年弁護士ポール・ハリスは三人の友人とロータリークラブを結成します、ロータリーの名称は会員の事務所を持ちまわりで会場とした事から付けられたそうです。
1918年日本の経済使節団の一員として訪米中の、当時三井銀行の重役であった米山梅吉が、ダラスRC在籍の福島喜三治(三井物産ダラス支店長)と出会い、ロータリークラブの例会に出席した事をきっかけに、ロータリークラブの素晴らしさを知りこの事が、日本のロータリークラブの誕生に繋がりました。
特に米山梅吉が共感したことは、ロータリーの利己の無い奉仕の精神と行動だそうです。
その後帰国した米山は、日本で最初のロータリークラブである東京ロータリークラブの創設に尽力し、1920年には、福島氏も帰国し、10月20日に創立総会が開催され、1921年に正式に国際ロータリーより承認されたそうです。
そのため、東京ロータリークラブは国際ロータリー直属のクラブとなったとの事です。
しかし、当時は例会への出席状況はあまりかんばしくなかったようです。
その後、大阪ロータリー、神戸ロータリー、名古屋ロータリー、京都ロータリーと続々と日本各地にクラブが結成されていきました。
しかしその後、大陸での戦火拡大と対米関係の悪化に伴い、日本のロータリーに対する攻撃は段々と厳しくなり、例会に憲兵や特高警察がしばしば臨席するようになり、一部の新聞報道などでは、「米国のスパイ」よばわりされ「解散すべし」とまでいわれました。
そしてついに軍当局に呼び出され、ロータリーの存在は大日本帝国に対する反逆であるとまで極言され、東京ロータリーも1940年9月の例会でついに解散を決議しました。
その後、終戦を迎え4年後の1949年ついに東京ロータリークラブの復活となります。
この国際団体への復帰は宗教団体を除けば日本での最初の団体だったそうですが、米山梅吉は1946年4月にロータリーの復活を見ることなく、故郷の沼津で逝去されました。
その後の日本のロータリークラブは、経済成長に伴い世界で2番目の会員数を誇るほどになりました。
しかし近年では経済状況などの原因で、会員数の減少傾向が見られるところとなりました。
7月の例会
・7月 3日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
白石会長 新年度運営方針
・7月10日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
クラブ協議会 各委員会話し合い
・7月17日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
クラブ協議会 委員長発表
・7月24日(水)午後6時30分 日田市の亀山亭ホテル
納涼夜間例会
・7月31日(水)休会
会長の時間1
日田ロータリークラブ会長 白石章二
天皇陛下も御譲位により代替わりをされ、元号も令和となり、私も会長の一年がスタート致しました。何か身の引き締まる思いが致します。
私は入会した当時、自分が会長になるとは正直イメージ出来ませんでした。 当時の先輩方は、皆重鎮の方ばかりで、私は何時も緊張していて、何か自分が場違いな場所にいるような気がしていたのを、いまでも覚えています。
しかし、月日の経つのは早いもので、私も入会して早16年が過ぎました。その間、可愛がっていただいた先輩方も、少なくない方達がお亡くなりになりました。今でも、その先輩方のお顔を時々思い出すことがあります。その先輩方の部 厚情に報いる為にも、会長として一年間精一杯頑張って行こうと思っていますので、会員の皆様方のご協力とご指導を宜しくお願い致します。