Archive for 2012
「上半期を終えて」 橋本信一郎会長
「上半期を終えて」
橋本信一郎
今期は「一眼を足下に、一眼を海外に」という会長方針でスタートいたしました。
まず、足下ということで申しますと、上半期に3名の会員が新しく入会していただき総勢54名のクラブになりました。
若い新進気鋭の湯浅会友と、当クラブ初の女性会員である原会友、大学で長年、研究と教育をされてこられた北川会友です。それぞれ個性のある会友の入会により、ますます活性化して楽しいクラブになること期待します。
今期の目標は5名ですから、あと2名、有為で楽しい会員が入会していただけますよう、皆様方には宜しくご紹介方をお願いします。
また、趣味同好委員会にゴルフ同好会を新しく創設し、毎月1回の開催を基本に懇親を深めております。今後は、クラブ内だけではなく、ゴルフを通じて近隣クラブとの交流を深めることにも活用したいと思います。来年4月には、第2分区のゴルフ大会が予定されておりますので、多数、参加されることを期待します。
10月24日のチャリティバザーにも、過去最高の資金が集まったそうです。皆様とご婦人方のご協力に感謝します。
10月3日の、岡村ガバナー公式訪問も日田クラブをホストとして開催されましたが、後の懇親会も含めて、若い会員の活躍で活気があり、ガバナーご夫妻も気持ちよく過ごされたのではないかと推測します。親睦委員会には年末例会も盛り上げていただいたことを感謝します。
それから、この上半期、第2720地区のセミナーが多く開催されましたが、各委員長と委員さん方が積極的に参加していただきました。
9月2日の米山記念セミナー、9月9日と10月27日の財団セミナー、7月28日のインターアクト年次大会等々です。やはり、セミナーに参加すればロータリーが良く理解できますし、他クラブとの交流もできますので、下期も特に新入会員の方たちにが、多くご出席して下さいますようお願いします。
また、期初早々に50周年実行委員長と2014年5月31日の開催日が決まりました。記念講演の講演者も交渉優先権を一応確保しております。
来年の3月9日に開催されます第2720地区大会では、日田の50周年記念大会に出来るだけ多くのクラブから出席していただくために宣伝をしなければなりませんので、多数のご出席をお願いします。
次に「海外」に目を転じますと、国際交流のための中国語講座が開講いたしました。
講師は鬼武会友の会社のネイティブスピーカー3名です。受講生は井上幸一会友夫人をはじめ10名です。来年には台北に小籠包を食べに行って中国語を使おうと話し合っています。
10月13日からの香港エレクトロニクスショウへの参加者は私だけでしたが、巨大な会場と来場者と数千と言われるブースの多さに、アジアの時代の到来を実感して参りました。
内陸の日田にいるからこそ、アジアには積極的に関わって、これからの日田市の活路を見出すべきだと考えます。これからも台湾嘉義ロータリークラブをはじめとして国際交流を盛んにしていきたいと考えます。
そして、50周年記念事業の一つとして、ミャンマーでの校舎建設の現地視察のために、田嶋副会長、織田R財団委員長と私の3名が、11月31日から12月4日まで行って参りました。
後で、現地の写真をお見せしますが、現在はとても貧しいですが、西側の資金と技術援助があれば、これから必ず発展する国だとの印象でした。
対日感情も良くオールジャパンで協力支援してくべきであると感じました。我々も細やかですが、ミャンマーの発展のために支援したいと考えます。
来年の年末頃には開校式があるはずですから、多くの方のご参加を期待します。
いずれにいたしましても、会友各位に支えられまして、無事、上半期を終えることが出来ましたことを感謝いたします。あと1年半、よろしくお願い致します。
会長の時間23 平成24年12月26日(水)
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
今日は12月26日ですが、安倍新政権が誕生します。
新政権の金融・経済政策に期待して、日経平均は1万円を突破し、円は85円に安くなっています。来年は、この期待が本物になって、実体経済が活性化していくことを心から願います。今日は、卓話の時間に「上半期を終わって」がありますので、これくらいにしておきます。
会長の時間22 平成24年12月19日(水)
「赤山ガバナーエレクトの壮行会・他」2012.12.19
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
昨晩、大分のレンブラントホテルで開かれた赤山ガバナーエレクトのサンディエゴ研修会出発の壮行会に出席してきました。1月12日に出発、空手の名手であるお嬢さんが同行されるそうです。
杉谷、本田パストガバナーの時の壮行会参加者はそれぞれ3名、岡村ガバナーの時は30名だったそうですが、今回は43名の参加者でした。これも第2720地区が活性化しているあらわれだと思います。
そのこととも関連して、第2720地区の最近の活動が認められたのかもしれませんが、杉谷パストガバナーが、RI理事ノミニーに推薦されたそうです。併せて、ご報告します。
さて、選挙も終わり、予想以上の結果になりましたが、選挙中から株価は上がり円安も進みました。新政権は当面、経済の回復を第一に明確な政策を打ち出してくるでしょうから、来年夏にかけての景気の回復を期待したいと思います。他にも、外交・安全保障など、日本が直面する難題はいくつもありますが、しっかりと土台から立て直してもらいと考えます。
また、今回の選挙と小選挙区制度ということを考えた場合、日本人もだんだんこの制度に慣れてくるのではないかと感じました。というのは、前回の選挙のように耳触りの良い言葉に惑わされなくなったのではないかということです。ある意味、今までの選挙だったら言いにかったことを言った政党が過半数を確保しましたが、これも3年余りの経験で得た国民の貴重な財産であって欲しいと思います。
それにしても、小選挙区制度は政権交代が容易な制度ですから、新政権は緊張感を持って国政に当たってもらいたいと思います。
1月の予定
1月の例会予定
1月 2日(水) 休会
1月 9日(水) 午後6時30分 日田市の小松軒
新年例会 会長卓話 橋本信一郎会長「下半期について」
1月16日(水) 午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
会員卓話 武内眞司ロータリー情報委員長「ロータリー情報について」
1月23日(水) 午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
会員卓話 永田耕一会友「イタリア紀行」
1月30日(水) 午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
IM準備委員会 佐竹享ガバナー補佐
2012年家族例会
年末恒例の「家族例会」が開かれ、大勢の奥様やお子さま方に参加していただきました。チェロの演奏やメンタルマジックショーで楽しみ、話も盛り上がり楽しい時間を過ごしました。
会長の時間21 平成24年12月12日(水)
「家族例会」2012.12.12
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
こんばんは。今日は年末恒例の「家族例会」です。大勢の奥様やお子さま方に参加していただき有難うございます。ロータリークラブは、家族の皆様のご支援やご協力があるからこそ可能だと思います。
来期は、日田ロータリークラブの創立50周年です。私は来期も引き続き、会長をやらせていただきますが、奥様方には色々お願いすることが多いと思います。何卒、ご協力をお願い致します。
お知らせしておきたいのは、50周年には、ミャンマーの小さな村に学校を建設する計画を進めています。今月の初めには、私と田島副会長、小田財団委員長の3名で現地を視察してまいりました。
もし、計画が実現した折には、開校式に出来るだけ多くと方と参加したいと希望します。
私の任期はまだ1年半残っていますが、先の事は余り心配せずに、皆様のご協力を得て、50周年を成功裏に終わらせたく頑張りますので、どうぞ宜しくお願い致します。
今日は親睦委員会がアトラクションなども用意していますので、どうぞ楽しい時間をお過ごし下さい。
会長の時間20 平成24年12月5日(水)
「ティータンゴン村視察」2012.12.6
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
日田ロータリークラブ創立50周年の記念事業の一つとして、ミャンマーに学校建設をするために、現地を視察して、今朝8時に福岡空港に戻ってきました。
ミャンマーの前首都ヤンゴンは、マニラと同程度の都市との印象ですが、市内から車で一時間も走ると竹や植物で編んだ高床式の住居が立ち並んでいます。雨季になると水に浸かるようで、電気も水道もなく、インフラ整備はとても遅れています。
ただ、人情はとても穏やかで、とげとげしいところがなく、他人に対して、とても気を使う人たちであるとの印象を受けました。
ここ一年で、ホテルの料金は2、3倍に上り、車の台数が急激に増えたようですが、車の90%以上が日本から輸入された中古車です。飛行機の乗客や市内に、白人の姿が多くみられ、西側から人物金が流れ込む前兆のようであり、これからは一年毎に発展して行くものと思われます。
視察には、既に現地で学校を3校建てた古庄さんという方と、一緒にボランティア活動をしているスースーさんが同行してくれ、建設済みの学校2校も視察してきました。
建設予定地のティータンゴン村へはバスで2時間、ボートに乗り換えて1時間半の所でしたが、村長がわざわざボートを仕立てて我々を迎えに来ました。
現地で子供たちから歓迎を受け、村長から状況を教えてもらったことは、以下の通りです。
ティータンゴン村
人口:50家族250人(子供60人:女39人、男21人)
現在ある村にある学校(塾?)は、村民がお金を出し合って運営している。
月曜から金曜日の朝10時から16時まで授業。
教科書は政府発行の物を村が購入して使用(ミャンマー語、英語、数学、農業)
狭い一部屋で、1年生から6年生をグループに分けて授業
先生は一人45,000チャット(4,500円)/月で、2名を雇用。
保護者から子供一人当たり1,500チャット/月を徴収。
現在、貧しいがゆえに、10名ほどの子供が学校に来ていない。
新校舎がたてば、政府が先生を入れてくれることを約束しているので、子供の授業料は無料になる。(但し、教科書代はかかる)
場所は現在位置に建設。既に政府から土地と建設許可ももらっている。
建設は、設計は技師がするが、労働力は村の人が提供する。
新校舎は40フィート(12m)*30フィート(9m)の物を予定。現在は6m*6m位のまさに茅屋。
今回、学校3校を視察しましたが、どこの子供たちも礼儀正しく、目が輝いており、先生に大きな声で返事をしていました。子供たちは奪い合うように、私たちの手を取り、泥道を学校に案内してくれるのですが、私たちが、ぬかるみに入らないよう、あるいは枝が顔に当たらないように、気を遣っているのが良く分かりました。
会員卓話 井上太香美会友 「年金の話」
12月8日(水)
会員卓話 井上太香美会友 「年金の話」
井上会友に老齢基礎年金の繰上受給と通常受給の累計額が同額となる年令の話をしていただきました。
40年間100%出席
100%出席の会友が例会で表彰されました。
中でも佐藤建身会友は40年間の100%出席です。
会長の時間19 平成24年11月28日(水)
「ミャンマーについて」 2012.11.28
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
11月30日(12月5日朝帰国)から、私と田島副会長、織田R財団委員長で、学校建設予定地の現地視察に行ってまいります。つきましては、ミャンマーについて勉強したことを少しご紹介したいと考えます。
ミャンマー連邦共和国
面積:日本の1.8倍
人口:6250万人(約日本の半分)
首都:ネピドー(2006年よりヤンゴンより遷都)
民族構成:ビルマ族70%、シャン族8.5%、カレン族6.2%モン族2%、インド人2%
宗教:国民の85%が仏教徒、キリスト教徒5%(主に山岳少数民族)、イスラム教徒4%
公用語:ビルマ語
気温:平均最高気温30から40°の間で、最低気温は15°を下ることはない。
降水量:5月から10月が雨季で、11月から4月は乾季
ミャンマーの歴史
ビルマ族の起源は、もともとチベット高原から下りてきた人たちで、1044年にビルマ族のパガン王朝を樹立しました。チベット系ですから、ビルマ語は日本語と似た語順のウラル・アルタイ語系です。
1885年にイギリスに完全に鎮圧されて、1886年(明治29年)に英領インドに併合されて、ビルマ国王夫妻はインドに流刑となりその地で死亡しました。
その後、イギリスは北部山岳少数民族をキリスト教に改宗して軍と警察を担当させ、インド人は金融、華僑は商売、ビルマ人は最下層の農奴にするという分割統治政策をとりました。
この身分関係がビルマ人の山岳民族への憎悪として残り、今の残る民族対立の原因になりました。
日本とミャンマーの関係
1941年の大東亜戦争開戦後、日本軍は援蒋ルートの遮断などを目的としてビルマへ進攻し全土を制圧しました。この時、タイで日本軍の支援によって設立されたビルマ独立義勇軍をアウンサン(アウンサン・スーチー氏の父親)が率い、1943年にバー・モウを元首とするビルマ国が建国されました。
その後、1944年のインパール作戦の失敗など日本の敗色が濃くなると、アウンサンの指揮するビルマ国民軍は、日本軍とビルマ国政府に対してクーデターを起こしイギリス側に寝返りました。
しかし、戦後、イギリスは独立を許さず、再びイギリス領になりましたが、1948年に、やっとイギリス連邦を離脱してビルマ連邦として独立しました。
なお、ビルマ方面作戦に参加した303,501名の日本軍将兵のうち、6割以上にあたる185,149名が戦没し、帰還者は118,352名のみでありました。
ビルマ戦線については自らの従軍体験を基にした「フーコン戦記」(古山高麗雄)や、北ビルマの激戦に従軍された日田の方、元台湾人日本兵からその体験談を聞いたことがありますが、北ビルマから撤退の道は白骨街道と呼ばれるほど悲惨なものだったそうです。
今回の学校建設予定地の視察はもちろんのことですが、ビルマの風土や人情、日本人に対する想いなども肌で感じてきたいと考えます。帰国したら皆様に現地の実情をご報告いたします。
会長の時間18 平成24年11月21日(水)
「子供を可愛がった日本人」 2012.11.21
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
最近は、育児放棄、幼児虐待など、子供をとりまく環境には厳しいものがあります。いつからこんな殺伐とした世の中になったのでしょう。
「江戸の子育て」という本があります。この本を読むと、江戸時代の日本人の子育ての様子が良く分かるので一部を紹介します。当時の子供たちは信じられないほどかわいがられて育てられていました。
明治初期に来日した英国婦人イザベラ・バードは「私はこれほど自分の子供をかわいがる人々を見たことがない。常に子供を抱いたり背負ったりしている。子供の遊んでいる様子をじっと見守り、時に一緒に遊んでやったりもする」と書いています。
ちなみに、戦国時代に来日した宣教師も同じように、子供たちがこんなに可愛がられて、こんなに安心して遊んでいる国は見たことがないと書いています。
江戸時代の大人たちは、毎晩、子供のそばで、おかしくもない子供の話も面白そうな様子で聞き、親からも年相応のことを話して聞かせ、子供を中心に団欒を共に楽しんでいたようです。
スキンシップも現代よりはるかに豊かで、乳をくわえて寝たり、抱かれて寝たりするだけでなく、外出の帰りは、大抵、おんぶか抱っこでした。
肌と肌とを接してやると子供は良く寝るので、子供を裸にして抱いて寝、子供が乳を求めて母親のところに行けば、いつでも乳を飲んだり、舐めたりすることが出来たようです。
睡眠についても、現代では一人で寝させるのを自立と言っていますが、一人で寝かせた様子はありません。婆と寝て目覚めると婆の乳を舐めたり、爺と寝て昔話をしてもらったり、いつも誰かが添い寝していました。
ある日記には「孫を抱いて寝ると『おじいさ、百人一首を読んで』という。天智天皇の『秋の田の』と読んでやると、その通りに読む」とあります。
愛情たっぷりの中で、百人一首や、舌切り雀、花咲かせ爺、古の聖賢の話、大和の名将勇士の振舞いなど、年相応の物語を取りまぜ、寝物語に聞かせながら自然に手習いや書物に導くことが江戸の子育てであったようです。
文化年間、松前藩で捕虜生活を送ったロシア海軍少佐ゴローニンは「日本人は世界で最も教育の進んだ国民である。読み書きの出来ない人間や祖国の法律を知らない人間は一人もいない。一番大切なことは日本人が幼年時代から子弟に忍耐、質素、礼儀を極めてたくみに教え込むことである」と書いています。
今は核家族化して、爺や婆と一緒に住むことも少なくなりました。中には孫を触らせてもらえない爺や婆もいます。
もう、江戸時代に戻ることもできませんが、今の日本人の考え方を変えない限り、いくら制度をさわっても、お金を出しても、少子化も幼児の虐待も改善されることはないだろうと思います。
ゲスト卓話 青木正年西部振興局長「日田には未来がある」
11月21日(水)
ゲスト卓話 青木正年西部振興局長「日田には未来がある」
日田市の未来の可能性について、日田市の地理的要衝、子どもたちの事、有効求人倍率、観光、文化、再生可能エネルギー等々をお話ししていただきながら、わかり易く講演いただきました。ありがとうございました。
会員卓話 織田莊太郎ロータリー財団委員長 「未来の夢計画について」
11月14日(水)
会員卓話 織田莊太郎ロータリー財団委員長 「未来の夢計画について」
会長の時間17 平成24年11月14日(水)
「東北大震災の被災地を見て」2012.11.14
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
先月、東北大震災の被災地、石巻市と仙台市を見てきました。
石巻市では、破壊された建物はきれいに片づけられていましたが、瓦礫のほとんどは、まだ集められて積み上げている状態だそうです。市民は北九州市の名前をあげて瓦礫の受け入れを感謝していました。
平地になっている石巻市の港に面した市街地では、新たに住宅等を建築することは禁止されていて、将来はスポーツ公園にする計画になっているということでした。
しかし、個人の所有地を国が買い取る土地の値段は固定資産評価額で、例えば8万円ですが、高台に建設される予定の土地の値段は18万だそうです。どうして移転できますかと被災者である語り部の人が言っていました。
話を聞きながら、日本で、私有財産がそのような形で処分されることが可能なのだろうかと疑問に思いました。仮に、ある人が津波はもう千年は来ないと判断するから、自分の責任で家を建てると言うことを政府が拒否できるのだろかと疑問に思いました。
石巻の海産物の年間売上高は600億円であったそうです。昔から、海と共存共栄で栄えてきた町です。漁業が再生しないと税収もあがりません。これからも町が再生しようとすれば漁業でしょうから、津波被害を受けた昔もそうであったように、人々は自然に再び海に近づいて来るしかないだろうと推測します。
自然災害を完全に防ぐことはできません。しかし、被害を減らすことは可能だと思います。
今まで何回も津波警報が出されたそうです。しかし、いつも二、三十センチのものだったので、皆が警報に慣れてしまったそうです。
また、今回の津波で、保育園児や小学生が園や学校にいて亡くなった子供はいないそうです。それは、園や学校では、マニュアル通り避難したからです。
警報の出し方や、港周辺での避難場所の確保などで、被害はかなり減らせるのではないかと思います。
仙台では、津波が畑を遡上していた場所に行きましたが、方々で田んぼの塩抜きをしていましたから、もう、畑を活用する方針のようです。私は、高速道路の土盛りで津波が止まったことからも、むしろ、海岸沿いに土を盛るべきではなかろうかと考えていましたら、先日の読売新聞に13メートルの土盛りをする計画があるという記事がありました。これでも巨大津波から完全に守れるかどうかわかりませんが、少なくとも減災はできると思います。
日曜日の「やしきたかじんのそこまで言って委員会」で、東大地震学のゲラー教授が「地震の予知は絶対に出来ません。これが学会の大方の意見です」と言っていましたが、やはり、日本人は良くも悪くも自然と共存して行くしかないのではないかと思います。
職場例会を日田キヤノンマテリアルさんで
2012.11.7 日田キヤノンマテリアル株式会社さんで職場例会を開かせていただきました。
坂下喜一郎社長様をはじめ、工場長様、部長様にも大変お世話になりありがとうございました。
工場の説明、製品の説明の後、見学もさせていただきました。
会長の時間16 平成24年11月7日(水)
「日田キヤノンマテリアル株式会社さんでの職場例会」 2012.11.7
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
本日は、日田キヤノンマテリアル株式会社さんの工場見学をかねての職場例会ですが、快く受け入れて下さいましたことを深く感謝いたします。
今年の6月に行われた開所式で御手洗冨士夫キヤノン会長は、日田キヤノンマテリアルで造る部品について「キヤノンの“宝”といえる技術やノウハウがぎっしり詰まっている。こうした重要な部品の生産は海外に出すつもりはない」と力説され、キヤノンのものづくり方針として「労働集約的な組み立ては一部を海外に出すが、付加価値の高いものは日本に残し、雇用にも貢献していく」と述べられました。
このような戦略性の高い工場を日田に建設、かつ、日田市内からの大勢の若い人たちを採用して下さいましたことに日田市民として感謝するとともに、将来的な事業の拡張を大いに期待いたします。
本日は、グローバル化の中で日本の製造業が如何に対応して行くかなどのお考えも併せてお聞かせ願えれば幸いです。本日はよろしくお願いします。
会長の時間15 平成24年10月24日(水)
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
今日は恒例のチャリティバザーですが、朝早くから設営・値付けなどに来ていただき誠に有り難うございます。バザーに欠かせない奥様方のご協力にも深く感謝いたします。多くの来場者と出来るだけ多くの益金がでることを期待します。
さて、先般からお話ししております、創立50周年記念事業としての国際奉仕活動の件ですが、地区副幹事のご紹介でミャンマーでの小学校建設の話が来ております。
これは既に現地で小学校を3校建設した実績のある方のご紹介ですが、ヤンゴンからバスで2時間、バイクで30分のティダンゴンという村の掘っ立て小屋の寺子屋をコンクリートの学校に建替えたいというユニセフからの紹介です。写真で見ましたが、実にみすぼらしい建物ですが、壁にこれまたみすぼらしい黒板がかかっていましたので、貧しい村が独自に村の子供たちに教育しようとする姿勢に逆の意味で感心しました。
建設費用は約100万円くらいだそうです。教員の一人あたりの月給は通常3000円ということですが、この学校については、人件費は独自でやるという話もあります。
つきましては、事業化するためには、来年3月までに地区財団に財団補助金の申請をしなければならないので、現地調査をして、話を詰めてきたいと考えます。
現在、私と田島副会長と織田財団委員長の3名が、11月末から12月初めにかけて現地調査に行くようにしておりますが、他に参加希望の方がいらっしゃれば、早急にお申込み下さい。ミャンマーはビザが必要で取得に3週間かかることと、日本企業のミャンマーへの関心が高く、航空券が取りにくい状況があるためです。
ミャンマーは非常に親日的で国民は真面目で向学心が高いと言います。戦略的にも仲良くすべき大切な国ですので、50周年に向けて何とか良い事業にしたいと考えております。
チャリティーバザー開催
2012.10.24 チャリティーバザーを開催しました。
午前中より準備開始。会場を設営し、会友が持ち寄った寄贈品を整理、値付けしていきます。
市価の半額が目安です。
たくさんの方にご来場いただきました。
ありがとうございました。
人気のコーナーは開場10分でほぼ完売。
貴重な売り上げは社会奉仕活動に使用させていただきます。
観月例会を終えて
2012.10.17 観月例会を終えて
親睦委員 永田耕一
月見で一杯!という日本ならではのお酒の楽しみ方をかねての、本日の観月屋形船での親睦でしたが、いかんせん雨と、あるトラブルというか紛失というか・・波乱万丈なことがおきるひたRCならではで、陸上での親睦会となりました。
今季の親睦の方向として、昨年夜間例会が少なく諸先輩方と新人との親睦自体が少なかったことを受けて、今季は積極的に夜間例会を含め、夜の席を設けることを意識的に多くしました。そのことでも賛否両論はあるかと思いますが、少なからずベテラン・中堅そして新人間の親睦自体がより深くなったことは、今回の例会での各席での移動の頻繁さで垣間見ることができました。
まず当初の目的が達成できつつあることはありがたいことであります。
その中で親睦として大先輩方とお話をするなかで、やはりロータリークラブたるもの及びロータリアンたるもののお話を頂きますが、新しい世代を迎えた新しい時代のロータリーの動きはどうあるべきか!そしてその方向性で、失ってはいけない大事な日田RCとしての伝統は何か!をもっと明確にすることが、日田RCが今後もさらに維持発展していくために今、必要なことではないかと恐縮かつ僭越ではありますが「感想」として感じていることです。伝統も時代に合わせてマイナーチェンジしなければ維持できません。維持できなければ伝統も何もあったものでありません。しかし常に今だけを見て動けば、志や理念という共有認識は出来ません。それがなければ維持すら出来ません。今を優先し、今にあった戦略を行いながらも、引き継いでいくべき伝統や共有認識を今の言葉に咀嚼しながら脈々と世代間で引き継いでいく!この両輪こそビジネスにも、ロータリーにも、全てにおいて大切なことではないかとあらためて世代間の親睦を行いながら感じました。
会長の時間14 平成24年10月17日(水)
香港エレクトロニクスフェア視察」2012.10.17
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
香港エレクトロニクスフェアを鬼武会友の案内で見学してきましたので感想をご報告します。私が最後に香港に行ったのは香港返還前で、ビルの間を発着する啓徳空港でしたから、新しく近代的ハブ空港となった香港国際空港の偉容に驚きました。英国統治最後の事業として僅か6年で完成させていますから、未だに満足なハブ空港のない日本と比べてその戦略性と実現スピードの差に愕然とします。
香港は中国本土を後背地を持つ利点もありますが、この空港を最大限に利用して世界中かバイヤーを集め、今回の香港エレクトロニクスフェアのような展示会などを数多く開催しています。今回フェアが開催された会場は地下1階、地上5階ですが、延面積で東京ドーム10個分だと聞きました。朝の9時から夕方6時まで、歩き回っても3分の1も見ていないのではないかと思います。3千数百社のサプライヤーがそれぞれ工夫を凝らした製品を展示していましたが、ほとんどが香港と中国本土の会社でした。台湾や韓国はありましたが、日本からはサプライヤーもバイヤーも少なかったのではないかという印象です。
展示された製品は一流品とは言えないかもしれませんが、デザインもよくて値段が安く、東南アジア、中近東、中南米、アフリカなどの発展途上国では大いに売れるだろうと思いました。3Dテレビ等の出品もありました。基幹技術は日本から輸入しているのかもしれませんが立派に映るし、コスト面で日本製品は太刀打ちできないでしょう。
数千の香港サプライヤーは、多分、ビルの狭い一室で企画を練り、部品を集めて、中国本土で組み立てるという構造なのでしょうが、これだけ世界中からバイヤーが集まっている活況を見ると、今後、日本の製造業はどう対応して行くべきかと素人ながら考えさせられました。
20数年前、広州交易会を見たことがあります。錆びた製品が展示されるなど何も見るべきものがなかった当時と比較すると、会場も製品も展示方法も洗練され大変な進歩でした。今後も東アジアの製造業等の動きには目が離せないと感じた今回の香港視察でした。鬼武会友の案内に感謝します。
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